「歴史・戦記アニメは若い人のもの」と思っていた50代へ (合戦の裏に描かれる、生き様と業)

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「歴史・戦記アニメ=派手な合戦を楽しむ、若い人のジャンル」。それだけでは無いです。

派手な合戦。
ぶつかり合う軍勢。
血しぶきと、雄叫び。

若い人が、あの迫力を楽しむもの。
そんなふうに思われているかもしれません。

私自身、
もともと歴史そのものが好きで
大河ドラマや、史書や、ゲームに
ハマっていました。
(初代・信長の野望はカセットが
熱くなるまで、やり続けていました)

武将たちの顔や、いくさの臨場感が、
好きでした。
その流れで、自然とアニメも観るようになった。

最初に惹きつけられたのも、
やはり、あの派手な戦の場面です。

長く親しんできたはずの合戦が、
アニメになると、また違う速さと熱で暴れている。
それは、それで、たまらないものでした。

でも。何本も観ているうちに、
私は、違うところを見ていることに、
気づきました。

惹かれていたのは、派手さじゃなかった。

でも、私が本当に見ていたのは、合戦じゃなかった

では、私は、何を見ていたのか。
しばらくは、うまく言葉にできませんでした。

はっきりしてきたのは、合戦そのものより、
その戦の”前”と”後”に目が吸い寄せられていた、
ということです。

刃を交える一瞬より、そこへ至るまでの迷い。
斬り結んだあとに残る、誰かの横顔。
勝った側にすら、埋まらないままの何か。

動いているのは軍勢でも、私が追っていたのは、
そこに立つ一人ひとりの表情でした。

極限に置かれると、人は、
隠しごとができなくなります。

ふだんは飲み込んでいる本音も、
見栄も、弱さも、表に出てしまう。

生きるか死ぬかのはざまでは、
その人の生活も、思想も、
選び方も、まるごと剥き出しになる。

きれいごとでは済まない、業があらわれます。

派手さに惹かれて入ったはずの扉の奥に、
こんなに濃い”人間”を感じるとは、
思ってもみませんでした。

極限に置かれた人間の”全部”が描かれる

DRIFTERS ( 死に様は、自分で選ぶ)

まず、『DRIFTERS』を挙げさせてください。

関ヶ原の戦いで死にかけた
島津の若武者・島津豊久が、
気づけば見知らぬ異世界へ放り込まれている

このアニメの魅力の1つは
島津豊久という男の生き方です。
彼は、こう言い放ちます。

「這うて悔いて死ぬか 疾って夢見て死ぬか どちらにする!?」

死ぬこと自体は、もう前提なんです。
そのうえで、どう死ぬかを自分で決める。

這って生き延びて悔やむより、駆け抜けて、夢を見て死ぬ。
派手な合戦のどの場面より、この一言は胸に刺さります。

もう一人。同じ物語に、織田信長が出てきます。
戦の天才として登場するのですが、その戦ぶりだけじゃない。
この人の、乾いた人間の見方が秀逸です。

「尊厳が無くとも飯が食えれば人は生きられる。
飯が無くとも尊厳があれば人は耐えられる。
だが両方なくなると、もはやどうでもよくなる」

きれいごとが、ひとつもありません。
人が生きるとは、耐えるとは、崩れるとは何か。
それを、これだけ短く、これだけ醒めた目で言い切る。

ゴールデンカムイ ( 生き残った者の心の傷)

もう1本は、『ゴールデンカムイ』です。
日露戦争を生き延びた元兵士・杉元佐一が、
北海道で金塊を追う物語。

杉元は戦場を生き抜いてきた。
恐ろしく強い。

「俺は不死身の杉元だ!」

勇ましい啖呵に聞こえます。
でも、観ているうちに分かってくる。
あの強さは、生まれつきの強さじゃないんです。

戦争を生き延びるために、
身につけてしまった鎧のようなもの。
戦が終わっても、彼の心は、
ずっと戦場に置き去りにされたまま。

「不死身」という言葉が、だんだん、
切なく聞こえてきます。

そして、この物語には、土方歳三が出てきます。

そう、あの新選組の。
史実では函館で果てたはずの土方が、
この作品では老いてなお生きている。

彼は、こう言います。

「生き残りたくば 死人になれ」

若い杉元は、この老人に
「若い頃の自分にそっくりだ」と言われます。

生き延びるために鬼になった若者と、
生き延びて老いた鬼。

2人の生き様が、深いところで重なり合う。

そして、もちろん
この土方歳三、実は『DRIFTERS』のほうにも
出てくるんです。
あちらでは、見知らぬ異世界に放り込まれてなお、
刀を手に暴れている。

こちらでは、死ぬはずだった歴史を生き延びて、
老いた身で、まだ何かを狙っている。
同じ一人の武士が違う2つの物語で、
それぞれに「どう生き残るか」を突きつけられている。

惹かれるのは、たぶん、派手な剣さばきだけじゃない。
土方歳三の、生き残ろうとする
執念のほうなんだと思います。

人生の機微が分かる歳だからこそ、深く味わえる

若い頃の私が同じ作品を観ても、
たぶん、ここまでは刺さらなかったと思います。

バトルシーンなどに「おお」と沸いて、
それで十分に満足していたはずです。

変わったのは、作品のほうじゃありません。
自分の感性が変わりました。

長く歴史に親しんできて、
自分もいくらか歳を重ねて。

気づけば私は、勝ち負けよりも、
その人の生き様を見るようになっていました。

そして、これはたぶん、
あなたにも起きていることだと思うんです。

ここまで読んでくださっている。
それだけで、あなたもそれなりの年月を
歩いてこられた方なんだろう、と想像します。

引くに引けなかった場面。
選ばなかったほうの道。
見栄を張って、
あとで少しだけ悔やんだ夜。

そういうものを、いくつも抱えて、ここまで来た。

だから、島津豊久が死に方を諭すとき。
織田信長が、乾いた心を見せるとき。
杉元の「不死身」が、どこか切なく聞こえるとき。

頭で「なるほど」と思うより先に、
胸のほうが、静かに疼く。

人の弱さも、迷いも、引き際も、自分の身で
ひととおり通ってきたから画面の中の
1人ひとりが、もう「他人ごと」には
感じれない。

歳を重ねて増えたのは、
シワや溜め息ばかりじゃない。

あなたが”いつも”で手にしていたものは、侮れない深さを持っていた

人の業だの、執念だの、死に方だの。
だいぶ大きな話をしてきました。

私たちが、これまでなんとなく手に取ってきた、
歴史もの。
戦記もの。
あれは、ただ派手な合戦を眺めていただけの
時間じゃなかった、ということ。

たぶん、ずっと前から、人を見ていたんです。
合戦の音の向こうで、
1人の人間がどう迷って、
どう選んで、
どう生き延びたのか。
それを、自分でも気づかないうちに、
ちゃんと受け取っていた。

そういえば。ちがう場所で、少し似た話を書きました。
中年や、老人が、静かに主役を張る物語について。

あのとき私が惹かれた”歳を重ねた主役の背中”と、
今日の、あの老いた土方歳三は、
続いています。

派手さの中で人間を描く物語は、
若い主役にも、
老いた主役にも、
同じ深さで宿るものなんだな、と。

私自身、今夜もまた、
合戦や見せ場で「おお」と沸いて、
うっかり見入ってしまうんだと思います。

まあ、それでいいのかもしれません。
派手さから入って、いつのまにか人間に出会う。
その回り道も、ふくめて。

さて。今夜も、1本を開くとします。

それでも、たぶん、前より少しだけ
深く、沁みるはずです。

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